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禅芸物語2-母心

更新日:4月6日

≪このたびの台湾東部で発生した地震によりお亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみ申し上げますとともに、被災された皆さまに心からお見舞い申し上げます≫

合掌



 名古屋の観音文化国際シンポジウム後、檀上宗謙和尚は陳國寧先生と台北から約200キロ離れた埔里(プーリ)にある陳先生のお家で再会しました。

 人口約8万人、標高約400メートルの盆地に位置する埔里は、夏涼しく冬温暖です。大自然に囲まれているため、インスピレーションを求めて多くの著名人が「隠居」する街としても知られています。

 

 陳先生は自ら中国茶を淹れてくださり、一緒に庭にある花を楽しみました。私がほんの少し席を外した隙に、彼らの姿はどこにも見当たらなくなっていました。「どこへ行ったのか?」と戸惑ったところ、二階から琴の音色が漂ってきました。私が忍び足で階段を登ると、そこには檀上和尚が陳先生の指導のもと、古琴を奏でている姿がありました。

 机上には細い線香が静かに燃え、煙が空間を柔らかく包み込みます。悠久で静謐な琴の調べは、静けさと深遠な響きを醸し出し、まるで人の心の奥まで届いた感じがしました。

 時間は静止したのでしょうか?いいえ、目の前のお二人の間に流れる無声の「対話」は、時間の流れを感じさせてくれます。私はただ、その場に立ち尽くし、胸の奥から何か温かいものが湧き上がり、私の心と目を潤してくれました・・・


 翌朝早く、陳先生のお家には7、8人の客人が訪れました。彼らは中国文化大学時代の陳先生の学生たちで、書家、陶芸家、画家など、台湾芸術界で第一線で活躍する専門家ばかりです。そして、なんと! 陳先生は檀上和尚が台湾最大の湖である日月潭を満喫するために、一艘の船をチャーターしてくれたのです!!

皆さんは賑やかに船に乗り込み、お茶を飲みながら、湖の美しい景色を楽しみました。船が湖心に達した時、旅の楽しみは最高潮に達していました。

 そのとき、檀上和尚は「皆さん、あなたたちが大学時代に最も印象に残った陳先生のエピソードについて話し合ってみませんか?」と提案しました。

「いいですね、では、私から!」ある学生が手を挙げました。

「先生が授業の前にいつも瞑想していました。そして、専門技術よりも、どう感じるかについての教えが多かったです。」学生たちは嬉しそうに頷きました。

「私は先生の学校での授業が好きでしたが、水曜日の午後の授業が一番好きでした」

「は?!  水曜日の午後、学校の授業がなかったよ。先生が自宅に生徒を招いて、お茶を飲んだり、音楽を聞いたり、芸術作品を観賞したりする自由時間だろう」

 先輩の学生は笑いながら、突っ込みを入れました。

「先生は君がコーヒーが好きだって知ってて、いつも美味しいコーヒーを用意していたんだよ、特別扱いだよな!」

「違いますよ。先輩は忘れましたか? ある夏、大雨で先輩が住んでいた山小屋から降りられなかった時、先生が助けてくれたじゃないですか。 先輩こそ特別扱いを受けていましたよ!」

 笑い声が響きます・・・

 船上の皆さんはまるで40年前の大学時代に戻ったようで、顔には青春の笑顔が咲き誇っています。陳先生も口元に笑みを浮かべながら学生たちの会話を聞きいり、隣に客人がいることをすっかり忘れ去ってしまったかのようでした。


「和尚、陳先生は皆さんの先生よりも、お母さんみたいですね」私は檀上和尚の耳元で小さな声で話しました。

「菩薩様みたいです」和尚は答えました。

「お母さんは子供のことを思う時に、菩薩に化身されます。子供もお母さんのことを思う時に、菩薩に化身されます。陳先生も学生も、今、皆、菩薩様です」


(続く)




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