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禅芸物語3- 縁を運ぶ人たち

更新日:4月15日



時計の針を少し戻して、檀上和尚と台湾に到着したその日の出来事をお話しします。

台北の空港に降り立った私たちは、夕食まで時間があったため、台湾の海の守り神・媽祖を祭る媽祖廟(まそびょう)へ行くことにしました。タクシー乗り場で、私は先頭にいた少し厳しい顔つきの運転手に声をかけました。

「すみません、媽祖廟に行きたいのです」

「いいけど、どの媽祖廟?」運転手は少々不機嫌そうな声で返事をしました。

 私は少し戸惑いつつ、「特に決まっていません。近くのものでお願いします」と答えました。

「『ティエン ホウ ゴン(天后宮)』で良ければ、乗ってください」依然として不機嫌そうな声。

 私は檀上和尚に振り向いて助けを求めました。和尚は笑顔で頷き、私はやむを得ずタクシーに乗り込みました。

 車輪が道路を摩擦する音だけがして、車内は気まずい雰囲気が漂っていました・・・



「あの、運転手さん、媽祖にお詳しいのですか?」私はなんとか会話のきっかけを作ろうと試みました。

「詳しいというより、私は媽祖様の運転手みたいなもんです。台北だけでなく、台湾全土の媽祖廟を訪れたことがありますし、媽祖様の姉妹の祠にも足を運んでいます。毎年の祭事やお祭りにも欠かさず参加しています」媽祖の話になると、運転手の口調も優しくなりました。

「なるほど、運転手さんは媽祖様の忠実な信者なんですね」話題が運転手のツボにハマったようで、私もほっと一息つきました。

「はい、毎日媽祖様の指示に従って、人々を媽祖廟に運び、参拝後は彼らを安全に自宅まで送っています。今日、お客さんとの出会いも、媽祖様が導いてくださったんですよ」

「それは素晴らしいことですね。でも、運転手さんはどうやって媽祖様から指示を受けるんですか?」私は質問を投げかけた瞬間、少し失礼だったかもしれないと後悔しました。

「それはね、朝起きたらまず媽祖様にお線香を上げ、媽祖様と対話するんです。これを見てください、これが私の家にある媽祖様の祭壇です」

 手渡された写真には、豪華な祭壇が映っていました。

「さあ、到着しました。こちらが天后宮です。日本からいらっしゃったんですよね?中に入れば、きっと驚かれると思いますよ」

 車を停めて振り向いてくれた運転手は、不機嫌な様子はまったくなく、温かい笑顔を見せてくれました。


 

 すでに午後5時近くなったにもかかわらず、天后宮の参拝者はまだまだ多くて、若い人も何人かいました。立派な玄関から入ると、左手にお坊さんの姿をした銅像がありました。

 檀上和尚は「これは弘法大師ではないでしょうか?」と私に聞きました。

 「え!? ここは媽祖様を祀るところだと思いますが・・・」

 銅像の近くまで歩いて、説明文を読むと、「南無大師 遍照金剛」と書いてありました。

 後になって分かりましたが、日本統治時代の台北天后宮は、高野山真言宗台湾総本山「弘法寺」でした。1952年に媽祖を祀る廟となり、天后宮と名前が変わりましたが、弘法大師の銅像や祠、お地蔵さんが現在でも祀られています。

 「これは運転手さんが言っていた『驚き』ですね」私は感心しながら和尚に話しました。


「ここで弘法大師にお経をあげてもよろしいでしょうか?」和尚は真面目な顔で聞きました。

「え!? ちょっと待ってください」

私はためらいながら天后宮のスタッフにその旨を尋ね、「もちろんです」との答えが返ってきました。

檀上和尚は法衣を着かえて、丹田から発する声で経を唱え始めました。荘厳な声は響き渡り、参拝者が集まってきて注目し始めました。

私は和尚の隣に立ち、どうすればいいのかわからなくなっていた時、隣にいた若い女性が小声で私に尋ねました。

「この方は日本から来た和尚ですか?」

「ええ、そうです」

「あなたはラッキーですね。『仏・法・僧』の三宝に近づくことが、ご自身の修行に必ずプラスになりますよ」

「いえいえ、私は仏教徒ではなく、ただの通訳です」私は慌てて弁解します。

「大丈夫です、私も仏教徒ではありません。それでも、普段からお寺でボランティア活動をしています。地域の住民とご縁を結べるし、いざ何かがあった時に、お寺は安全な避難場所となり、生活必需品を提供してくれますから」

「え?それは政府が行うべきことではないのですか?」

「まさか! 政府は頼りになりませんよ。自分たちで自分のお寺を維持し、常に善い思いを持ち、善行を積むのです。そうすれば、仏様が私たちを守ってくれます」

 力説している彼女の真剣な眼差しに、私は何も返す言葉が言えませんでした。


 今思い返せば、私は当時媽祖様の運転手と天后宮の若い女性の話をよく理解できず、違和感さえ覚えました。しかし、2024年4月3日に起きた台湾東部の地震についての報道を見て、彼らの気持ちが分かりました。

 日本のメディアによると、地震発生からわずか3時間で、設備が整った避難所が準備された迅速な対応が、「官民の連携と協力」によるものだとされていますが、私にはそれが「住民の信仰」によるものだと思います。

 媽祖廟でも、お寺でも、教会でも、「信仰」というキーワードは共通しています。その信仰を持つ住民が集まり、その居場所を安全かつ平和な場所に変え、そこで素晴らしいご縁を結んでいるのではないでしょうか。そう感じずにはいられません。


(続く)

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